10人目:元・歌舞伎町のバーテンダーV
南仏のニース三日目。
今日は昼から、地元っ子のVと会うことに。
V(27)
スキンヘッド
日本に住んでいた経験あり。
出身地はニース。
午前11時に駅で待ち合わせた。この日はあいにくの雨。
V「街を案内するね!地元だから任せて。」
頼もしい。ニース滞在三日目なので、メインストリートや旧市街は一通りひとりで散策していた。
Vは以前、ワーホリで日本に一年間住んでいたらしい。
私は「日本が好き、大好き!」と言ってくる人に対して警戒してしまうが、住んだ経験がある人に対しては別。日本の悪いところも含めて現実を知っている人は、話をしていても面白い。
Vは荻窪のシェアハウスに住んで、歌舞伎町のバーテンダーとして働いていた、と。
日本のサービス業で働くことの大変さを経験からわかっている。
帰国後は、ニースのカジノで用心棒として働いていたが、それを辞めて来月から陸軍に入るらしい。体格が良いスキンヘッド。一見いかつい印象だけれど、話してみると親切な青年。
日本語レベルは、あまり高くない。私との会話は9割英語。たまに少し日本語を混ぜてくる。
はじめに連れて行ってもらったのは、サン・ニコラ・ロシア正教会。外観がとてもカラフル。
私は、ロシア教会に入るのは初めてだった。この日は日曜。中に入ると、ミサをやっていた。聖歌隊の歌のレベルが高い。ロシア系移民と思われる敬虔な信者たちの中、私は明らかにアジア人観光客。居心地の悪さを感じて、しばらくして出た。
Vによると、ニースには裕福なロシア系移民が多いとのこと。ロシア人から避寒の地として選ばれるのもよく分かる。
おなかがすいたので、旧市街へむかって歩く。
私の希望で、ニースらしいものを食べに行くことに。
Vは日本に住んで就労経験もあるので、日本の良いところも悪いところも知っている。
歌舞伎町のバーで、はじめウエイターとして働き始めたが、注文を取ったり接客は難易度が高かったためカウンターの中に入ってカクテルを作っていたこと。Vは英語も話せるので、外国人客の対応を任されていたこと。英語が話せるスタッフが他にいなくて重宝されていたこと。店長が日本人スタッフに対しては厳しかったが、Vに対してはそこまでではなかったこと。仕事が忙しくて、滞在中は他の都市の観光へあまり行けなかったこと。もっと日本に滞在したかったが、ビザの関係で帰国せざるをえなかったこと。
日本で働く外国人といえば、多いのはJETプログラムやインタラックに所属する外国語教師。
歌舞伎町のバーで働く、となると外国語教師とはまた見える景色が全然違うだろうな。
大都市東京の繁華街、夜の世界。日本の中でもかなり特殊な世界であることは間違いない。
レストランでVは、パスティスという酒を頼んだ。
40~45%のアルコール度数の高い酒で、水を加えて飲む。
琥珀色だが、水をいれると白濁するというのが面白い。
少し分けてもらったが、柑橘系とハーブが入った薬のような味で、クセになる味だった。私の好み!! たとえるなら、薬用養命酒みたいな?
旅の思い出として、ニースで一本購入すればよかった、と今でも後悔している。
あとから調べてみると、パスティスは元々、ニガヨモギを加えて作る香草系リキュールアブサンの代替品として生み出されたようだ。
アブサンが、健康上の問題から1915年フランスで禁止された後、アブサンに似た風味をもって生まれた。アブサンに“似せて(se pastiser=ス・パスティゼ)つくる”という意味でパスティスと呼ばれるようになったのだそう。
アブサンといえば、画家のゴッホが魅せられ、取り憑かれ、身を滅ぼしたと言われている。
私の大好きな、びじゅチューン* の「アルルの訳アリ物件」という曲の歌詞に「アブサン」が出てきたとき、気になって調べた。
びじゅチューン* とは、
世界の美術をユニークな歌とアニメーションで紹介する番組。毎回5分間の番組の中で、著名な美術作品をテーマにした1分半前後のオリジナルソングを放映している。
このオリジナルソングは、作詞・作曲・歌・アニメーションの全てを映像作家の井上涼が制作している。(Wikipediaより抜粋)
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パスティスに話を戻すと、パスティスはペタンク(鉄のボールを転がして遊ぶプロヴァンスの怠惰なゲーム、年配の男性がやる)というゲームに欠かせないらしい。男の酒、というわけだ。
もともとアブサンに興味があった私は、Vから南仏のパスティスやペタンクの話を聞けたのはとても面白かった。
昼食の後、ジェラート片手に海岸で話したり、Vが働いていたカジノに連れて行ってもらったり、ニースの街並みを一望できる場所へ連れて行ってもらったり、観光を楽しんだ。
夕方、別れ際にVがトラムの10回券をくれた。
V「これ、あげる!ニースを楽しんでね、本当に会えてよかった。また会おう。」
本当にやさしくて、最後までおもてなし精神にあふれた青年だった。
まだトラムのチケットは5回残っている。また、いつか近いうちにニースに行かなくては!