1人目:世界で活躍するイタリアンシェフから考えるグローバル人材
それは、イタリアに着いて三日目のことだった。
私はローマ滞在中に、絵葉書のような絶景を見るために一泊二日のエクスカーションでチヴィタ・ディ・バーニョレージョへ電車で出かけていた。
帰りにオルヴィエートへ寄って、豪快にトリュフがのったウンブリケッリ(地域の名物パスタ、もちもちしている)を食べて白ワインを飲んで満足していたものの、少しずつひとり旅のさみしさを感じ始めていた。
遅めのランチをとったのは、高級な感じのお店。友人や家族ずれで賑わう店内、ひとり客は私だけだった。
Tinderアカウントは、ローマに着いた初日に作成したが、なんとなく面倒・かつSIMカードのデータ通信を節約すべく全然チェックしていなかった。
とりあえずスワイプしておいたが誰とメッセージをやりとりするわけでもなく、Hi,Hello,Buonjorno とだけ送られてくる、山のようなかるーいメッセージを車中で眺めていた。
「一人旅の途中に、たまにはだれかと一緒に食事したくてアカウント作ったんだけどな・・・。」
まー、そもそもTinderやる男は99%ワンナイトスタンド目当てだしな。写真やプロフィール見ずに、ノールックスワイプしてるんだろうな。
と思いながらすでに始める前からめんどうくささで手が止まっていた。
私が右スワイプ(OK)の基準としているのは、以下三点。
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①写真が一枚でなく複数枚あること
→ハンサムに見える奇跡の一枚で実物と違う可能性があるため。
②プロフィールがある程度書かれていること
→ワンナイトスタンド狙いの人は職業・出身大学など身バレを恐れて、プロフィール情報を書かないため。
③プロフィール写真が裸の写真でないこと
→自分の胸や腹筋を見せてセックスアピールして、ワンナイトスタンド狙いが見え見えだから。
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そんな中、あるメッセージに目がとまった。
「今夜、一緒にごはん行かない?」
興味本位で、
「いいね!行こう。」
と返信し、その日の夜にローマで一緒にご飯へ行くことに。
プロフィールからわかることは以下。
35歳
世界を飛び回るイタリアンシェフ
住んだことのある国:スペイン、メキシコ、サウジアラビア、アメリカ、マレーシア…
複数の言語が話せるみたい。会う前に彼(P)から、
P:「何がしたい?ディナー、飲み?ドラッグ?セックス?」
とテキストが送られてきて、
これ本当に会っても大丈夫かいな…と不安になりながら
なつこ:「夜ご飯食べたいし、飲みたい。」
と返信。待ち合わせの時間は21:30
彼が、私の滞在しているホステルの前まで来てくれた。
いざ会ってみると、彼はベレー帽をかぶっているオシャレなイタリア人という風貌。
渡された名刺には、彼の写真の横にフードコンサルタントと書かれている。
個人として各国のイタリアンレストランでシェフとして働く傍ら、個人としてレストランのオープンや内装・メニューのコンサル業もしているそうだ。
Uberを呼んでくれて、とりあえずレストランがたくさんあるトラステヴェレへ行くことに。
車に乗り込んでから、彼がUberドライバーにおすすめのお店を聞く。イタリア語での会話が始まる。
それで結局私たちは、トラステヴェレではなくUberドライバーおすすめのオステリアがあるテスタッチョへ行先を変える。
イタリア語は分からない私だが、聞いているとやはりスペイン語とかなり似ている。なんとなく話の内容が分かった。
P:「ドライバーとの会話分かった?」
と聞かれ
なつこ:「なんとなくわかった、トラステヴェレじゃなくてテスタッチョのオステリア行くのね!」
と答えた。彼は英語よりスペイン語のほうが得意のようで、
P:「どっちの言語で話したい?」
と聞いてきたが、私は英語のほうが楽なので
なつこ:「英語でお願いします。」
とお願いした。
ーーー
土曜の夜、22時を過ぎていたがオステリアは地元の人たちでにぎわっていた。
彼は私に何が食べたいと聞くのではなく、
P:「僕の選ぶおすすめを楽しんで!」
と。さすがイタリアンシェフ、頼もしい。
ワインも私が赤が好きだと言ったら、赤でおすすめのものを選んでくれた。
私が求めていたのは、こういう時間!
食べ物や飲み物を選んでくれてその土地のおすすめを一緒に楽しむ。
会うのはひとり目だからとても緊張したものの、いい出だしだ。
これが、ビギナーズラックというものか。
トリッパ(牛の臓物トマト煮込み)も、付け合わせの
ほうれん草のような野菜の炒め物も、とてもおいしかった。
中でも私のお気に入りは、トリッパ。
アルゼンチンで食べたトリッパを思い出した。臭みのないトマト味がいきたトリッパ、アルゼンチンで作ってくれた友人のことを思い出した。
シェフの解説付きで食べられるなんて、なんて素敵な経験なんだろう!と
彼は、世界中で活躍するイタリアンシェフとしての経験を話してくれた。
なんと、ローマにいるのはこの3日間だけで明日にはすぐ中東のバーレーンで新しいイタリアンレストランのオープンを手伝う仕事のため旅立つとのこと。
今まで数年単位でいろいろな国を転々としてきたけれど、最近永住の地を探し求めていて、今回バーレーンでのオファーを受けた、と。
一度も訪れたことがないのに、永住の地として考えている、って思い切ったことをするもんだなあ。
先週までメキシコで三年間シェフとしてイタリアンレストランで働いていたらしい。
「メキシコはずっと住みたいと思えなかったの?」
と聞くと、やはりメキシコはドラッグマフィアの国。
道端のゴミ捨て場に人の片手や片足が紛れているのを見たことがある、と。
治安面で問題があると答えた。
私は旅でカンクン、グアナファト、メキシコシティへ訪れたことがあるが観光者レベルではそんな場面に出会わなかったので、ブレイキングバッドみたいな世界が本当にあるものなんだ…。と驚いた。
私は彼の話を聞きながら、以下のことを考えていた。
グローバル人材というのは語学が堪能うんぬんではなく、その人の専門分野がいろいろな国と地域から需要がありかつ質的に世界と戦えるレベルであることを改めて感じていた。
日本でいえば、エリート金融マンや商社マンのことを指すわけではなく、日本の伝統工芸品の職人とか美容師とか。世界で通用するかつ需要のある分野で手に職があれば、語学は二の次だよな。必要に迫られれば語学は身につくし。
そうか、実力があるイタリア生まれのイタリアンシェフは、世界各地にある様々なイタリアンレストランから引く手あまただな。働く場所に制限がなくてある意味自由などこでも生きていけるってすごいな、と。
イタリアに来る前にネットフリックスでイタリア移民の食文化についてのドキュメンタリーを見た。
取り上げられていたのは、ニューヨークとアルゼンチンに住むイタリア系家族。
アルゼンチンは南米の中でも人種構造が他と異なる。スペイン系とイタリア系が半々の白人の国なのだ。
というのも100年ほど前にヨーロッパへの農作物や食肉の輸出でアルゼンチンがGDP世界6位の経済的に豊かな国だったころ、多くのイタリア系移民が仕事を求めてアルゼンチンへ出稼ぎに出かけた。
母を訪ねて三千里のマルコの母もその時代の出稼ぎイタリア人の一人だ。はじめは出稼ぎのつもりだったが、定住する人も増え、結果多くのイタリア系アルゼンチン人がいる。
今回、私が旅先としてイタリアを選んだのは、アルゼンチンでイタリア系家族と出会ったことで彼らの先祖の祖国についてより理解したい、イタリアなまりのスペイン語を理解したい、という思いから来るものだ。
ニューヨークのイタリア系移民はミートボールスパゲッティを生み出し、それがあたかもイタリア料理かのように広めた。
しかしミートボールスパゲッティはイタリア料理ではない。移民が作った祖国を懐かしむ別のもの、ある意味アメリカ料理だ。というのをドキュメンタリーでいっていたのを思い出す。
話を元に戻そう。
ドキュメンタリーを見て心に残っているのは、アメリカにいるイタリア系移民の数は現在のイタリア人口を上回るという事実。
安定した経済基盤を求めて自国を出て行った人の数の多いこと。私の目の前のシェフも、10年以上外国で働いている。
「イタリアへの愛はもちろんあるけれど、ここで働くには経済的に問題があってね、、。」
と語る彼の顔が忘れられない。
深夜、おいしいご飯を食べ終わって、オステリアにタクシーを呼んでもらって、ホステルへ送ってもらった。食事もタクシーも私に払わせてくれない、紳士だ。
「今日はありがとう、もうつかれたから休むね、おやすみ。」
と私は言って、お互いの両頬を交互に合わせて「チュッ」と音を立てる
イタリア式あいさつ:バーチをしてお別れした。
顔を近づけてもロマンティックな雰囲気はなかった、最後まで安心。
いろいろと考えさせられる、いい出会いだった。
部屋に戻って、WhatsAppを見ると彼から
「やりたかったー、本当にやりたかった!イタリアを楽しんでね!」
とテキストが来ていて、笑う。
ぜんぜんそんな素振りなかったやん!と突っ込みたくなる。
「ありがとう、本当に楽しかった。」
と返信すると
「俺の(ナス絵文字)見せたかった~、旅の途中でイタリアの(ナス絵文字)もぜひ楽しんでいってね!」
と。
なるほど、そこはバナナではなくナスを使うのね、面白い。これってお国柄なのかしら。
いやいや、私そんなローカルフード(男)楽しんで食べまーす♪ってタイプじゃないし!って、苦笑する。
さて、これからどんな出会いがあるかな。ワクワクしていた。