なつこの旅にっき

旅&酒が好きな30代女、なつこ。25か国の渡航経験あり。自由気ままな旅先での出会いの記録を綴る。食べて飲んで、自分の足で歩いた備忘録。ツイッター:https://twitter.com/natsuko3tabi

6人目:ボローニャでトルコを想う

フィレンツェでのAとの夜が忘れられない。

 

Aのお誘いを断ってしまった後悔を引きずりながら、予定通りボローニャ行きのイタロ(高速鉄道)に乗り込む。

 

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高速鉄道イタロ

電車は30分遅れだった。

このままもっと遅延して、移動できなくなって、フィレンツェにもう一泊出来たら、またAに会えるかも。

 

彼は今日16時に仕事終わるって言っていたし…。

急に会えると言ったら、Aは喜んでくれるだろうか。もう少し一緒に過ごしたかった。もう一度会うことができたら。。

 

未練たらたらである。情けない!

 

私は旅人。

電車やホステルをあらかじめ予約する必要はなかったと後悔しているが、出会った人のために旅程を変える決断はできなかった。正確には、やろうと思えばできたけれど、しなかった。

 

まず私の旅自体が存在して、突発的な出会いはそれを彩る副産物にすぎない。旅程は変えないし、旅先で恋に落ちることはない。現実は、映画のようにはいかない。

 

と言い聞かせていた。同時に、

男で負った傷は、男でしか癒されない。とも考え始めていた。

 

ボローニャでは、Nと会う予定だった。電車が着く15時頃にまず駅で会う予定だった。

 

やり取りでは、とても丁寧で好意的で思いやりにあふれた、良い人という印象。英語(書き言葉)は完ぺきではないが、丁寧なやりとり、情にあつい人柄が伝わってくる。

 

N「僕の部屋に泊まっていいよ。」

ともテキストされたが、

 

なつこ「会ったことがない人のところにいきなり行って泊まるなんて、恐ろしすぎる。」 

 

と正直に返信。

 

待ち合わせでちゃんと会えるか心配だったが、

 

N「なつこがどこにいたって見つけるよ。大丈夫。」

 

と。うーん、なんだその映画みたいなセリフ。

 

イスタンブール大卒業って、トルコ人か?

職業:Orthopedic って、、、

整形外科医か!

どうしてボローニャなのかしら。

 

私はアメリカ留学してすぐのころ、すこしだけトルコ人のHと付き合っていた。

 

Hは、トルコの首都アンカラ出身でマイクロソフトのエンジニアだった。

大学院からアメリカ西海岸で過ごしphDを取得し、アメリカには当時7年くらい住んでいたが、アメリカ生活に馴染むでもなくトルコ大好きでトルコに帰りたいと思っている人だった。

彼自身は彼の両親ほど敬虔なイスラム教徒ではなかったが、豚肉は食べないし酒も飲まない、コーヒーすら飲まなかった。婚前交渉もなし。30歳の童貞男だった。

トルコ人には珍しい。

 

ザコンで、

トルコ人以外の女性と結婚するとママが悲しむから、なつことは将来は考えていない、でも好き!大好き。」と言っていたのを思い出す。

 

大学院からアメリカに住んでいるし、英語は完ぺき。

だけれどトルコ人訛りの発音。いつも冗談いってばっかりで面白くって、情にあつい、良い人だった。

 

Hと出会う以前に、大学の卒業旅行でトルコ(西側)を一通り巡ったたことがある。

 

パムッカレ、カッパドキアなどの雄大な自然、トロイ遺跡、イスタンブールのアジアと欧州の文化が混ざり合った感じがとても印象的でよかった。また行きたい。

 

ただ、料理はあまり好きではなかった。アメリカでトルコ人彼と一緒に行った彼おすすめのトルコ料理店も、私にとってはいまいちだった。

 

食べ物の好みが合わないのは一緒に付き合っていくうえで難しいな、と思ってしまった。私は刺身や寿司が好きなので、生の海産物が一緒に楽しめない人はつらい。

 

Hは元気にしているだろうか。グリーンカードをゲットしたらすぐトルコに帰るって言っていたな、トルコの政治動向を追うのが好きでYoutubeでいつもトルコの政治関連の動画を見ていたな。

 

そんなことを思い出しながら、電車は30分遅れでボローニャに着く。私は小さいスーツケースとリュックを持っていたので、荷物をまず宿に置きたかった。

 

(先にホステルで荷物おいてくる、電車も遅れたし駅では会えないごめん。夕方会おう。)とNに連絡した。

 

Nは駅の近くに住んでいるので大丈夫だろう、と思っていたが、ちょっとした行き違いがあり、携帯の電池が切れたNはしばらくボローニャ駅で私を待っていたみたい。申し訳ない。

 

この日の宿は、ボローニャの駅から徒歩15分くらいのホステル。設備や築年数に対して割高な印象。4人部屋、女性用ドミトリールームのベッドひとつを借りて€30、朝食付き。

ハズレか。運が悪い、そんな日もあるよね…。

 

私はイタリアに着いて1週間以上たち、洗濯物がたまってきたのでホステルの洗濯機(コインランドリー)でこの旅初めての洗濯をした。洗濯:€1.5、乾燥:€1で安かった。

 

夕方になって日が落ちるころ、ボローニャの中心マッジョーレ広場あたりへ歩いて行った。

 

ボローニャはボロネーゼで知られる。美食の街。ハムで有名なパルマも、まあ近い。

エミリア=ロマーニャ州のおいしいもの食べられるかな、と期待しフィレンツェヴェネツィアの間に一泊することを決めたのだ。

 

ローマやフィレンツェのようなロマンティックな街並みではなく、交通の要所・経済的で近代的な都市という印象。金曜の夜、町の中心のレストランが賑わうエリアは人であふれている。

 

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マッジョーレ広場

Nと会うのは19時の予定。ふらふらと1時間ほどマッジョーレ広場周辺を散策した。

結局彼が遅れて会えたのは19:30だったけれど。ネプチューン像の近くで会った。

 

Nは、身長190cm、ほりの深いトルコのハンサムガイという感じ。

カイトサーファー、筋肉質、長身、外科医で。こりゃモテるだろうな。

 

話してみると、テキストでやり取りしていた優しい丁寧な感じとは違う印象を受けた。Nは英語を話すのがあまり得意ではないこともあり、簡素なそっけない感じ。

 

彼は前日よく寝ておらず、来週の試験に向けて勉強に追われ忙しない生活の中で疲れているようだ。おなかもすいていないようだった。

 

私はボローニャらしいものが食べたい、と言ったが

N「ごめん、ボローニャにいてもトルコ料理を食べているから、イタリア料理の店はよく知らない。適当に歩いてお店を探そう。」

 

残念。でも、トルコ料理食べに行くよりましか。

 

とりあえず、賑わっているバルのような店に入った。ワインが売りのエノテカみたい。小さいパニーニのような軽食とワインをいただく。

 

彼はムスリムで豚肉が食べられないので、ターキーのサンドイッチを頼んだ。(英語で。)ワインは飲めるようだ。二人で一本なら飲めるでしょう、と注文。

 

Nは、トルコ人。30歳の研修医、整形外科医。

トルコのアドゥヤマンという小さい村の出身で、イスタンブール大学を卒業してイズミールの病院に勤務している。トルコのエリートであることがうかがえる。

 

今回、ボローニャの病院にひざの手術の名医がいるため、彼から手術を学ぶべく2か月間研修に来ていて、もうすぐ研修を終え来週末トルコに帰る予定。今は病院での仕事に加え、最終レポートなどに追われていて寝る時間も確保できないくらい忙しい、と。

 

Nは2か月間イタリアに住んでいるなら、レストランの注文くらいイタリア語ですればいいのに。イタリア語を全く学ばないのは勿体ないな。旅で来て1週間の私ですら、精一杯へたくそなイタリア語で注文しているというのに・・・。

と考えてしまうのは、私が外国語習得に熱心なタイプだからだろうか。

 

Nは昨年、別の研修でドイツにも2か月間住んでいた。ドイツに比べると、イタリアは人の感じもトルコに似ていてあまり文化ギャップを感じない。地中海沿いの国はどことなく似ている部分があるのかな。見た目でいえばたしかにトルコ人は、ドイツよりイタリアのほうが外見が似ている分馴染みやすそう。

 

イタリア人は明るいし、人生を楽しんでいる感じがトルコ人と同じだ。ドイツは暗くて寒くて、一緒に働く人々もまじめだけれどあんまり好きじゃなかった。と。

 

医師で30歳って、日本でもそうだけれど専門医試験を控えていて仕事も勉強も大変な時期だよな。と、彼のハードワークっぷりを想像する。私は医師ではないが、日本では恒常的に1日14時間ほど働いているので、分かる。つらいよな。と共感を示す。

 

Nが日本の労働環境や経済、外国語教育について色々興味を持って聞いてくれたので、私の考えを話した。

 

なつこ「私のような長時間労働者は日本では一般的ではないが、社会問題となるくらい一定数(特に都市部)は居て、組織によっては労働時間に対して正当な残業代が支払われないところもある。ここ数年で政府が解決に取り組みはじめた問題のひとつであり、まず大企業から長時間労働を減らそうとする動きが実質的に始まっている。

 

日本は義務教育で小学校から英語学習を取り入れており、高校まで多くの日本人が英語の読み書きを学ぶわりには話せる人が少ない。指導する側にも流暢に話せる人材が多くないことが原因だと考えられる。」 など。

 

Nはトルコでの医師の年収(30歳)についても教えてくれた。月収€2,000ほどだと。それでもイスタンブールの普通の大卒会社員の3倍くらいだよな、きっと。と考える。

 

ワインボトルが空になると、私たちは店を出て駅へ向かった。私のホステルも彼のアパートも近い。彼からはロマンティックな雰囲気を感じず、友達という感じだ。

 

Nは2か月間の短期滞在であることもあり、住まいはアパートの一室を借りているらしい。バス・キッチンなど共用。イタリア人カップルとシェアしている。月の家賃は€425、安宿に一泊€30払っている私からすると、うらやましい。

 

スーパーで一本ワインを買って彼の部屋へ行って、Nの好きなテクノミュージックを聞きながら少しワインを飲んでから、ホステルに送ってもらった。

 

人から借りているアパートの一部屋に「泊っていいよ」って勝手に(見知らぬ旅人に)許可出していいものか?おおらかな発想だな~。

 

Nのイタリア生活も残すところ1週間。明日は初めてローマに観光に行くらしい。朝6時の電車に乗っていく。仕事と勉強で忙しい中、時間を作って最初で最後のイタリア観光。

 

「また、トルコか日本か。世界のどこかで会おうね。」

ホステルの前まで送ってもらった。

 

これくらいがちょうどいい。と感じた。

 

ハンサムな彼と話して心通じ合って、少し飲んでほろ酔いになって。楽しかった。

また、トルコにも遊びに行きたいな。イズミールか。美しいエーゲ海とローマ遺跡が魅力的だな。

 

こうして旅を進めて新たな出会いに日々刺激を受ける中で、昨夜フィレンツェで出会ったAへのもやもやとした気持ちも徐々に薄れていくんだろうか。

 

ボローニャの空を眺めながら、そんなことを考えていた。

 

 

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ボローニャで翌日食べた、ラザニア・ボロネーゼ。